無職でニートな20代が怠惰な生活とネガティブな愚痴を綴っているブログです。

カテゴリ:その他 > 映画

canon

人は誰も一人で生き、一人で生まれ、一人で死ぬ。一人、常に一人だ。キスをしている時ですら一人だ。一人だけの肉体と人生をもち、分割することのできないトンネルのようだ。そして年を取れば取るほど一人きりになり、人生のいくつかの思い出がだんだんと壊れていくことに直面する。人生はトンネルのようだ。そして誰もが小さなトンネルをもっている。だがそのトンネルの先には光すらない。もはや何もない。記憶すら、終わりを迎える前に崩壊してしまう。年寄りはそのことをよく知っている。ささいな人生、ささいな貯金、ささいな退職、そしてささいな墓。それにこんなことは全部、何の役にも立たない。全くなんにもだ。子供たちも役には立たない。親たちが与えられるものがなくなったら、子供たちは親をホスピスに入れ、一人で無言のまま死なせる。争いの種すら与えない。子供の愛情なんてものは存在しない。そんなものは神話にすぎない。あんたは乳をくれる時だけ母親を愛している。そして父親は金をくれる時だけだ。だが母親の乳房がひからびて吸う乳がなくなった時、父親のポケットから金がなくなった時、彼らを遠くの押入に閉じこめて、金のかからない急病で死んでくれることを期待するしかない。こんなものだ、これが人生の決まりなんだ。子供たちが優しいふりをするのは、手に入る遺産があるときだけだ。だが遺産が冷蔵庫やテレビしかなかったりすれば、そんなふりをする必要すらない。もしくは本当に最低限の、自分の良心をごまかせる程度の優しさだ。1ヶ月に1度の電話、そして埋葬の時のわずかな涙で、彼らは義務から解放される。愛情、友情、そんなものは全部作り話だ。そんなものは幻想だ、あらゆる人間関係がちょっとした取引でしかありえないことを隠すために人が抱く、青春時代の幻想だ。人間は友情と愛情について語ることに満足するが、それも計算だ。現実はもっとずっと平凡なものだ。あんたが母親を愛している理由は、彼女があんたを育ててくれて死なないようにしてくれるからだ。あんたが友達を愛している理由は、彼が食べるための金を稼げる仕事を探してくれ、死なないようにしてくれるからだ。そしてあんたが自分の女を愛している理由は、彼女が料理をしてくれ、やらせてくれ、あんたが年を取りすぎた時に助けてくれる子供を産んでくれ、自分ひとりで死ぬのが怖いからだ。だがたった一度でも彼女の子供をひっぱたいたりすれば、年を取った時に報復されるに決まってる。実際、この平手打ちは高くつくことになる。あんたが子供にホスピスに入れられた後で、ぶたれたことが息子にとって、誰もが生みの親にもつ自然な無関心を覆い隠すための隠れ蓑になる。だめだ。キスはいい結果を生まない。ものすごく高くつくことすらある。だがそれは時間を忘れさせる。キスしたいという欲望がなくなった時、もはやこの世ですることは何もないとわかるのだ。そしてこのいまいましい人生には、これ以外に何もなかったのだとわかるのだ。自分の意思には関係なく生まれ、がつがつ食い、セックスして、子供を作り、死ぬという、我々の腹の底に組み入れられていて、我々が強いられていると感じている再生産プログラム以外は何も。人生なんて、すごく大きな空白だ。今までずっとそうであり、これからもずっとそうだろう。この巨大な空白は完全に俺とは関係なく展開することが可能だ。だが俺は、これ以上この遊びを続けたいとは思わない。もういやだ。もっと個人的な、並はずれた生き方をしたい。これ以上、取り替えのきく巨大な機械の最後のボルトにはなりたくない。俺は死ぬ日に、自分がこの惑星上に埋葬される無数の大馬鹿者全員と同じ愚劣さの中で生きたと感じたくはない。要するに、俺が経験した人生はこういうウスノロ馬鹿の最後の一人と同じだったということだ。よくわからない。死ぬまであと20年生きていく欲望をもつには、どんなものでもいいから適当な理由、口実を見つけなければならない。なあ、もし生まれ変わることができたなら、ポルノ映画を作りたかったよ。少なくともそこでははっきりしている。ポルノを作ってる連中は、我々の機能を完全に理解している。あんたがチンポコを持って生まれたとすれば、それがちゃんとそそり立たないかぎりあんたは役立たずだ。あんたが割れ目を持って生まれたとすれば、そこに充分に突っ込まれなければ役立たずだ。だがどちらの場合でも、あんたは一人っきりだ。そうだ、俺はチンポコ野郎だ。そうだ。みじめなチンポコ野郎で、俺を尊敬させるには、いつでもソレを充分に堅く反り上げてなければならないんだろう。




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gonin_01

GONIN(1995)が大好きだったので観てきました。
残念ながら本作には狂気も艶気もあまり感じられませんでした。
GONIN正統続編ということで、今回の五人は19年前の大越組襲撃事件に関わっていた人間と血縁にあるものたちです。
映画前半は前作からの繋がりを説明することに終始しています。
誰が誰の息子で、孫で、とたっぷり描写されていきます。
初見でもわかりやすく話を呑み込めるような作りになっています。
しかし説明の量が少し多すぎるようにも感じてしまいました。
公開前の惹き句に「もう、理性はいらない。」とあったので、自分としては勝手に、感覚で突っ走っている過剰な映画を想像してしまっていましたが、思っていたよりも理屈っぽかったです。
回想と現在を行ったり来たりで、その間も物語は徐々に進みつつ、という感じで本筋に入るまでにすごく疲れました。



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