工場労働の「地獄」とは、精神的なものだ。
肉体を酷使されるために辛いと感じるのではない。
そこに充実感が伴えば、さほど辛さは感じないだろう。
しかし、それがまるでない作業というものもある。
たとえば、ライン作業である。
生産ラインと向かい合って一日中同じ作業を繰り返す。
思考力など一切必要ない。
目の前の単純作業を飽きずに何百回もやり続ける。
むしろ「なにも考えない」という能力が求められる。
機械の歯車のように一定の作業を繰り返し続けるだけだ。
毎日、なにも変わらない。
昨日と同じ今日が終わり、今日と同じ明日がやってくる。
虚しさと疲労だけが日毎に蓄積されていく。 
これは恐ろしい。 
 

遭難フリーター (幻冬舎アウトロー文庫)

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この本には、工場労働の「地獄」と著者の不甲斐ない生活が日々の記録として綴られている。
この記録を読むとぼくは、どうしようもないほど胸が苦しくなる。
それは著者が孤独だからだ。
些細な充実感を求めているからだ。
ぼく自身、以前工場で働いていた。
作業内容は違えど、感じていたことは同じだ。

著者は度々自慰に耽る。
それは行き場のない鬱憤の捌け口であり、ぬくもりを求める行為である。
よって何度も何度も飽きずに続ける。
もちろん収入など発生しない、あるのはただ一瞬の、小さな充足感だけだ。
孤独は被害者意識を高めていく。
工場で孤立すると逃げ場がない。
人間関係が希薄だとそこは「地獄」になる。
愚痴を吐く相手すらいない。
誰もかれもが敵に見えてくる。
なぜ自分がこんなところに––––そんなことを考え始める。 

これは一年間の記録である。
ぼくはそんな派遣社員の生活に三年耐えた。
しかし書いて面白がれるほど壮絶なものはなかった。 
沸沸と自我を殺しているうちに過ぎ去った。
働いてる間は会社や同僚への怨念のようなものが心に渦巻いていたものの、辞めた途端、そんなものどうでもよくなってしまった。
そして、もう二度と工場では働かないと決意した。
当時のことを思い出すと、ニートである今が幸せに思えてくるから不思議だ。