昼過ぎに起き、歯医者へ向かう。
待合室はひどく込み合っていた。
見ただけで加齢臭が匂ってきそうな男たちが順番を待っている。
珍しく女性客がひとりもいない。
診察カードを無言で渡すと、窓際のソファーに腰かける。
席はほとんどが埋まっていた。
奥の壁に大きな薄型テレビが掛かっている。
見ると、男が新幹線内で焼身自殺を図ったらしい。
同じ映像が何度も繰り返し流れる。
事実のみをつらつらと述べると、画面はスタジオに切り替わる。
コメンテーターが眉根に皺を寄せている。
思慮深そうに事件を推論すると、CMに入った。
それが開けると、「いま冷たい食べ物がブームです」と明るい話題へと変わり、ポップな演出で派手に盛り立てる。一転しスタジオは皆笑顔になっている。
他人が奇怪な死を遂げようと、心は痛まない。
テレビに見入っている間にも、何人かが名前を呼ばれ診察室へと入っていった。
ふいに受付の女性が席を立つと、ドアを開け放ち外へ出ていった。
窓から目をやると、一台のタクシーが止まっている。
中から年老いた女性がひとり出てきた。
いまにも崩れ落ちそうなほど弱々しい。
小脇に小さなキャリーカートを引いている。
膝頭はプルプルと震え、歩くのがやっとという感じだ。
彼女は待合い室へ入ると、ぼくの隣に腰かけた。
上品な香りが仄かに漂ってくる。
付き添いの女性は五頭身の肉塊だった。
クビとくびれがない。
後ろ髪は耳の上まで刈り上げていた。
妖怪じみた風貌のそれはやってきて早々にトイレへと消え、以後姿を見なかった。
老婆が抱える二輪のキャリーカートには、消火器ほどの大きさのボンベのようなものが乗っている。
それはナイロン製の入れ物に包まれていた。
入れ物の蓋口が僅かに開いており、隙間から小さく丸い形状の圧力計が覗いて見える。
そこから出た透明のチューブが老婆の首筋へと伸びており、二股に分かれたそれは両耳にだらんとぶら下がり、先は鼻腔に突き刺さっていた。
呼吸器だろうか。
なんとか生きながらえている、というよりは、いまにも死にそう、といった印象だった。
しかし、齢の頃を考えると、自力で歩いているのだから健康なのかもしれない。
一見すると百近い高齢だと思えたが、実際はわからない。
ぼくの主観はだいたいのところ当てが外れる。
診察室のドアが開き、ぼくの名前が呼ばれた。
先生は若い女性の医師で、初めて見る顔だった。
といっても、顔面の八割方がマスクやゴーグルで隠れており、判然としない。
この日は先日の抜歯で生じた穴ボコに薬を塗ると終わってしまった。
痛みはなかった。
治療中、頭部に胸をグイグイ押し当てられ、俄かに下腹部が熱くなった。
この医師は痴女だと思った。
診察室を出ると老婆はまだ座っていた。
そこにはあのボンベがあり、付き添いの肉塊はいない。
あのチューブを引き千切ったら死ぬんだろうか。
死なないにしても苦しむに違いない。
乱歩的な妄想が脳内を過る。
外へ出ると、ドシャ降りの雨だった。